6月14日(火)
新宮市、熊野市周辺
予定より早く目が覚めてしまったため、
散らかった車の中を整理しました。
顔を洗って歯も磨いて、曇り空。今日は天気が悪くなりそうです。
6時半頃にはウミガメ公園を出発し、昨昼から何も食べてないので、
日本一面積の小さい村、鵜殿村のサークルKで朝食を調達です。
三重県から和歌山県(新宮市)に戻り、
朝の運動に(石段登りに)神倉神社へ行きます。
ここは本当に周りにも駐車場がなさそうな上、(見つからなかった)
道路も狭くて駐車禁止なので、駐車するところがありません。
仕方がないので、こんな朝早くから誰も利用しないだろうと、
近くの公共施設っぽいところの前に駐車させてもらいました。ごめんね。
(小学校だか地域の集会所だか、あるいは、別の何かだったかは失念)
そして、いざ石段へ!
この神倉神社へ向かう石段は、
石がかろうじて階段状に見えるかなぁ?って感じに積まれていて、
歩く場所によって段が違うから、段数も数えらないような石段です。
(Yahoo!トラベルによれば538段だそうです。しかし、どこを数えるんだ…)
ちなみに、源頼朝が作らせたそうですよ。
場所によっては段の高さも非常に険しく、
緑茶が非常においしいです…かなり、必死。
しかし、険しいのは前半だけで、後半は段が緩やかになりました。
それでも、前半の疲れで登るのは大変でしたが。
登りきると目の前には広い岩盤の上に御神体であるゴトビキ岩が。
ゴトビキとは、ヒキガエルの意味だそうだけど、
確かにそんな形に見えなくもないような気がしないでもないかなぁ…?
御神体となるだけあって、悪い形の岩じゃあないと思うんだけど、
ゴトビキ岩と名付けた人のセンスはイマイチ理解できず。
ここからの景色はというと、生い茂る木々で視界は制限されていますが、
新宮市街と熊野灘が一望でき、悪くありません。
天気が悪いので海は、ぼんやりとしか見えませんでしたが。
しかし、帰り…つまり、下りの石段は大変でした。
急で落ちそうで危なっかしいです。
2月6日には、男たちが火を持って、
この階段を駆け下りるというからビックリです。
うおぉ、ガキに追い抜かれた。走ったら危ないぞー。
神倉神社を発つと、駐車場のない新宮市で、
落ち着いて朝食の食べれるところ兼、
あちこちの開社時間まで時間を潰せるところ兼、
ちょっとはオモシロそうなところ…ということで、阿須賀神社へ。
社殿は昭和に建造されたものですが、
神倉山にやって来た熊野の神様が最初に留まったところだとかで、
熊野発祥の地だとも言われているらしいです。
そんなこと言われても、雨の中出て行くのも気が引けるので、
車の中でプリンを食べます。
なんか、境内には復元された竪穴式住居なんかもあり、
中国人が上陸していたりしていて、なんでもありな感じですね。
それでは、中国人が上陸したところで、
その中国人の公園へ行きましょう。
日本の街の中に異様な他国風の門が。徐福公園です。
徐福とは、秦の始皇帝の命令で、
童男童女3000人をお供に、童男童女3000人をお供に、(二回言ってしまった)
不老不死の薬を求めて、熊野の地に辿り着き、
そのままこの地に住み着いた中国人なんだそうです。
なんかそんな伝説が神奈川県にもあったな…というか、
徐福は一体、全部で何人いるんだろうという疑問はこの際放っておき、
徐福公園です。
徐福は、長いたびの果て、阿須賀神社の御神体である蓬莱山の辺りで、
遂に、不老不死の薬になる植物、天台烏薬を探り当て、
今はこの徐福公園の管理人をしていま…
…って、お墓の下で眠っていましたーっ!
不老不死になったんじゃなかったんですかっ。
しかも墓石に対して、文字がやけに曲がっている気がします…。
実際、このお墓は記念碑みたいなもので、
この下に本当に徐福が眠っているわけではないのだとは思いますが、
不老不死の薬を見つけた人の墓というものは相当気分が落ち込みます。
園内にある天台烏薬の説明板には、
「『不老長寿』まぼろしの霊薬だといわれており、
腎臓病・リウマチス・健胃にも特攻を有します」
と書かれています。
どれも不老不死になったら必要ない効能ばかりですね…。
しかし、落ち込まされてばかりでもないのです。
この天台烏薬と番茶をブレンドしたという「徐福茶」!!
園内のお土産屋さんで試飲させてもらいましたが、結構、おいしいです。
分かりやすい味に例えると、
節分のときに豆を入れて飲むお茶に近いかな?
豆っぽい香ばしさと、すっきりした後味がとても良かったです。
お土産にも買いました。話のネタにもおすすめです。
不老不死にはなれませんでしたが、これはこれで良しということで、フリーザ様。
徐福公園の駐車場は、観光の場合、1時間迄は無料で駐車させてもらえます。
40分程で、徐福に別れを告げて、熊野三山最後の一つ、熊野速玉大社へ。
と言っても、本宮大社は外側から眺めただけになっちゃったんだけどね…。
そして、速玉大社の見所は神宝館と、ナギの木かな?
どうでもいいけど、お土産屋さんは他より20円高く那智黒(黒飴)を売っていた…。
神宝館にある品々の多くは、保存状態、種類の豊富さ、珍品揃いなどの理由で、
「古神宝類」として、まとめて国宝に指定されているようです。
速玉大社のナギの木は、天然記念物に指定されていて、樹齢は1000年を越え、
ナギの木としては日本最大。幹とか凄いことになってますね。
なんかトトロとか、いろいろ住んでそうです!
再び熊野川を渡って三重県へ。
これで、今回の旅の中では4泊5日過ごした、和歌山県とお別れです。
リメンバー、タナベハーバー!また会おう!
七里御浜沿いに国道42号を北上し、
県道、国道311号を通って丸山の千枚田へ向かいます。
途中から本当に田舎道になるので、車とすれ違うのが大変だったり、
農家のおばちゃんが飛び出してきたりするので注意が必要(?)です。
丸山千枚田とは、紀和町の山間に広がる棚田で、
最盛期の1600年頃には田んぼの数がおよそ2400枚、(現在はおよそ1350枚)
一番上と一番下の田んぼの標高の差は100mという大規模な棚田です。
さて。
山道を抜けて、千枚田の下に出てくると、目に飛び込んでくる芝の大斜面。
当然、下から田んぼは見えません。
田んぼの間を縫う細い道を登っていくと、徐々にその姿を現していきます。
斜面途中の休憩所になったところで停車。
絶景!米テラス!
コルディリェーラの棚田群には敵わないけど、
やっぱり日本の田舎の雰囲気は落ち着くね。
空は曇っているけどとても心地が良いです。
おばちゃん達が一生懸命に草取りをやっています。
絶滅危惧種な野生のメダカも、滅ぶ気配も見せずに泳いでいます
しかし、機械が使えない性質上、維持するのはとても困難で、
千枚田を保護する、紀和町丸山千枚田条例を作ったり、
田んぼのオーナーを募集したり、いろいろ頑張っているみたいですね。
一部の田んぼにはオーナーの名前の入った札が立っています。
その中に、三重県の県知事さんの名札もあります。
稲が4本しか植えられない小さな田んぼもあったりします。
地元の農家の皆さん、本当にお疲れ様です。
これからも、頑張ってください!
棚田を上まで登りきり、Uターンして下り、
再び国道42号方面へ戻ります。
何故か来たときより多くトンネルを抜け、
――トンネルを抜けると、そこは不思議の国でした――
和歌山県熊野川町。
和歌山県には先ほど別れを告げたばかりなのに。
千尋「夢だ!夢だ!さめろ!さめろ!さめろ。さ…め…て……」
そっ
千尋「ヒッ!!」
自分「こわがるな、私はそなたの味方だ(CV.入野自由)」
…国道311号を逆送してました。
いや、でも、この熊野川町は本当に不思議な国でして、
地図を見てもらえれば分かるのですが、
和歌山県なのに、他の和歌山の市町村とは一切隣接せず、
奈良県と三重県に挟まれている町なのです。
そんなどうでもいいことはどうでもいいのでUターン。
今度こそ国道42号方面へ、熊野市へと向かいます。
ハク「振り向いちゃいけないよ。トンネルを出るまではね」
迷って、無駄に時間が過ぎてしまい、お腹が減りました。
熊野市街へ出たら、まずはモスバーガーで昼食です。
そして、日本最古の神社(らしいよ)花の窟神社へ。
2月の綱掛け神事で掛けられた網が風に待っています。
この網掛け神事についても調べた気がするのですが、
小学4年生が舞姫になって踊るよってことしか覚えていない…。
しかし、うん。良い神事だ。
毎年、2月と10月にするそうです。
この神社は日本書紀の国生み神話の舞台で、
イザナミさんが火の神カグヅチさんを生んだときに火傷して死んでしまい、
その葬地として祭られているのがこの神社だそうです。
それなので、この神社ではイザナミさんとカグヅチさんを両方祭っているみたいです。
詳しい事は、熊野市ホームページに、
素晴らしい漫画が掲載されてますので、そちらを読んでみてください。
ていうか、これ本当に市のホームページ?(;^ω^)
滝尻王子ポスターもですが、地方自治体もいろいろ個性豊かで面白いね。
花の窟にしてもそうですが、この熊野市の辺りは奇岩の名所がたくさんあります。
そして、熊野灘を臨む獅子が一匹。獅子岩です。
波の力によって浸食された岩で、
横から見ると獅子の顔に見えるのでそう呼ばれます。
でも、獅子の割には鳥っぽい顔なので、
あえて、獅子であることを尊重するならば、グリフォン岩です。
岩の下には「崩れるから近寄るな」の看板が。
確かに、周りの岩も含めて今にも崩れそう。
実際、崩れ落ちたモノと思われる岩欠がたくさん落ちてます。
ちなみに、獅子岩から次に訪れる鬼ヶ城の辺りは、
七里御浜の北端付近に位置していて、
この辺りからは、七里御浜全体が見渡せます。
正確には七里ではなく、25km程だそうですが。
この日は、天気が良くなかったので、
遠くの方は空に滲んで見えまんでした。
獅子岩の次は鬼ヶ城です。
ここから南は、さっきも言ったようになだらかな七里御浜になっており、
志摩半島から長く続くリアス式地形の南端の半島で、
半島全体が鬼ヶ城と呼ばれ、国の天然記念物に指定されています。
見学は自由とガイドブックには書いてありましたが、
駐車料金は500円取られるので注意です。
見学料金として取られるのは構わないけど、
駐車料金って言われるとなんか払いたくなくなるよね。
少し歩いたところに広い路肩があるので、
そこに駐車して歩いてくれば良いかも。
んで…
こちらも、獅子岩と同様、波の浸食によって作られた地形です。
大きな岩盤に大きな穴がいくつも開いており、
その奇妙な地形は、本当に鬼が掘ったんじゃないか?
って感じるほどです。
岩には名前を付けられたものなどもあり、
うまいこと名前付けたもんだなぁと思う岩も、
名前選び間違えてるんじゃないかって岩もありました。
往復で1時間弱。
階段によるアップダウンも多く、
今日はあんまり歩いていないので、
良い運動になりました。
今日の予定はこれでおしまい。
まだ、15時ですが、これから長距離移動です。
明日の目的地、鳥羽まで移動します。
途中、尾鷲の辺りで給油。(結構、ギリギリだった!)
レギュラー130円/L。高すぎる…。
しかし、市街地に出ると120円/Lのところがあって、
失敗したなぁって思いました。
ガソリンスタンドって感じじゃないので、整備屋さんかな?
その後も、順調に北上し、(嘘。途中で完全に道を見失った)
伊勢市内を通り、鳥羽市へ。
泊まれる駐車場を探しながら、
国道23号沿いに明日見学する予定の鳥羽水族館の脇を通り、パールロードへ。
パールロードにはいくつも駐車場が点在しており、
一番鳥羽市街よりの駐車場に泊まることにします。
夕飯を買い忘れたのですが、戻るのはイヤなので、
仕方なく先に進むとそこには「ようこそ国崎町へ」
しかし、よく読んでみると「KUZAKI」と書いてありました。
「KUNISAKI」じゃなくて残念です。
そして、国崎町も含め、田舎町ばかりで夕食を買えるところがなく、
結局、鳥羽市街に戻ることに。
最初に見つけたファミリーマートで、
超・大盛ミートソーススパゲティと、(名前ほどじゃないなぁ…)
蒸し鶏とゴーヤの夏サラダを買って、(ゴーヤは割りと好き)
あとは駐車場に戻って、ごはんを食べて明日の予定を確認して寝るだけ。
おやすみなさい。
走行距離/299.2km
消費金額/7618円